夫の就職が決まらず極貧生活を経験

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夫の就職が決まらず極貧生活を経験

私の結婚してからの人生遍歴はちょっとだけバタバタとしています。なぜなら夫と海外で出会い、妊娠を機に日本に引き揚げ、そして現在またも海外で暮らしているからです。お金に困っていたのは妊娠を機に日本に引き揚げた時のこと。当時私は23歳で夫は37歳でした。
海外に住んでいる時はお互い働いていて貯金も僅かながらあったし、日本へ帰るという決断をしたときはあまり不安もありませんでした。しかし、それは現実が見えてなかっただけ。間もなく現実を突き付けられ、節約生活に突入するのです。
37歳で日本での再就職を目指した夫の仕事はなかなか決まりませんでした。妊娠中の私も当然働ける状況にありません。目に見えて減っていく貯金、収入の無い生活。夫の憔悴っぷりは見ていて可哀想になるほどでした。結果が出ないだけで一生懸命に取り組んでくれる夫の負担を少しでも減らしたい、と節約生活がスタートしました。。
まず、就職活動をしながら職業訓練校に通って補助金をもらい、さらに週末は日雇いのバイトをして稼いでくれた夫の僅かな収入を出費の項目ごとに封筒に分けました。家賃・食費・光熱費・雑費等と書いた封筒にいれたそれぞれの予算は何が何でも死守!!絶対にその中でやり繰りすると決めました。
だいたい食費は朝昼晩込で1週間5千円で収めました。夫の昼食代も込み、週末のちょっとした贅沢、発泡酒も込みです。運よく私は農家育ち。新鮮な野菜なら葉や茎まで調理出来ます。週の終わりには冷蔵庫の中が空っぽになるまで綺麗に使い切っていたのは今でも自慢です。また、日用品の中の消耗品、トイレットペーパーやオムツ等は少しでも安い物を求めて自転車で走りました。子どもを前に乗せて、都合よくお散歩を兼ねたりしていました。10円でも安く買えたら喜び爆発!の毎日は段々と楽しくなっていきました。今日はこんな物がこんな値段で買えたと夫に報告する私の顔はキラキラしていたと思います。やり繰りしたお金で1000円、2000円でも黒字がでたらせっせと貯め、家族の記念日に贅沢をしました。お金は無いのに悲壮感は全くなかったのは良い思い出です。実際は黒字にならない事も多かったですが、買えない、という事に目を向けず、買えること・買えたことに目を向けるようにすれば節約も本当に楽しいものになります。
ただ、苦労したのは自分の親へのフォローです。夫の仕事が決まっていないなら私が苦労をしているんじゃないか、ととにかく心配されました。親なら当然の事だと思います。現状を知られれば夫の肩身が狭くなるんじゃないか、どうしたら少しでも親の心配が軽減出来るか、とても悩みました。そこで思いついたのは、実家周辺にはないようなちょっと見栄えの良い菓子折りなんかを定期的に送ることでした。美味しいもの見つけたから食べてみて~と何気なく送った贈り物の真意は、贈り物が出来る位には余裕があるのよ、という所でした。内心はヒーヒー言っていましたが、ここは必要経費と割り切り頑張りました。それが功を奏したのか、親から必要以上に心配されることはなくなりました。
そんな生活の中で、節約だけじゃなく家計の足しになる事をしたいと思うのは当然の事で、私も働きに出られないものか模索しました。
真っ先にしなければいけないのは子どもを保育園に預ける事です。しかし、当時住んでいた近くの保育園では、すでに職がある、もしくは自営業の家庭、シングルで子育てをしている家庭のみしか受付けてもらえませんでした。実家も近くに無く、夫も職業訓練校とバイトで朝から晩まで家に居ない我が家の状況では私が働きに出る術がなくなりました。出来ないものはしょうがない!スパッと割り切って始めたのはネットで空き時間に出来るお小遣い稼ぎです。当時はアンケートサイトに登録して、アンケートに答えては3円とか5円とかをポチポチと稼いでいました。
あの頃から約7年経ち、現在30歳の私。今は生活が安定しましたが相変わらず専業主婦をしています。子どもの手がだんだんと離れてきたのでパートでもし始めようかと検討しているところです。夫の収入で生活は出来るので、私の分の収入を家族の娯楽に充てたいからです。お金に余裕があるなら旅行したり、美味しい物を予算気にせずたらふく食べたいのです。また、夢物語のようですが、宝くじなんかに当たって、私が働かなくてもお金にたっぷり余裕があるなんて事になったら子どもがもう一人欲しいな~と思ったりしています。